物腰が柔らかく温厚。そんな第一印象を持った。
アートディレクター・菊地あかね氏。日本の文化や奥ゆかしさをデザインの力やアイデアで世界に伝えたい、という思いから、2016年に「Akane Kikuchi Design」を設立。2018年には、いけばなを和の空間で時の移ろいを感じながら体験できる「IKEBANA VR EXPERIENCE」をアートディレクションし、SXSWでコラボ発表するなど、国内外で活動している気鋭のクリエイターだ。
ただ、柔和な印象とは対照的に、彼女がこれまで歩んできた道は、険しいものだったことは想像に難くない。アートやブラックカルチャーに憧れて、18歳でニューヨークに単身留学。そこで出会う様々な人種に対して自国の文化を咀嚼して語れない自分に気が付き、選んだのが日本での芸者の道。その後、デザイナーとして組織に属したのちに、事務所を構えたという。
既成の概念に囚われず、自分らしくいる。そのために、自身の表現の糧になることへ突き進んで選択し、実行する。誰もが耳にするようなことだが、それを実現できている人はどれぐらいいるのだろうか?優しい語り口調の中で放たれる言葉は、彼女が歩んできた経験に裏打ちされた、静かな強さに満ちていた。
日本の美しさを表現したい
独立を志したきっかけを教えてください。
高校卒業後、ニューヨークに渡り、アートやデザインを学んだことがきっかけです。中学生のころ「自分の判断で何かをしていく」という将来像を描いていて、それを見つけるためにニューヨークに行きました。それまで海外の文化に憧れてきましたが、自国の良さや、どんな歴史をたどってきたか根本的なところに目を向けてこなかったことに気づかされました。そして、「日本の美しさ、繊細なものづくりの文化を正しく、新しく調和させ、アートやデザインとして目に見えるものや感じられるもので世の中に伝えたい」と決意しました。
ニューヨークに行ったあとに、アートディレクターではなく、芸者の道を選んだと伺っています。
芸者を選んだことは、女性として「和」をまとい、自分なりに吸収したかったことが大きな理由でした。留学後にすぐ日本の文化に触れるために、歴史が感じられる場所を巡っていたところ、東京の浅草で芸者が踊っていたのを見かけて胸を打たれました。厳しい修行があるイメージがありましたが、そのときは「芸者の世界」を見てみたかった。アートディレクターになるというよりは、日本ならではの奥ゆかしさへの探究心の方が強かったのでしょうね。
芸者時代に培ったものが、今のアートディレクターの自分に生かされている部分はありますか?
普段、企業の経営陣やPR・企画に関わる方々、クリエイター、デザインを手にとる人など、さまざまな人と交わっています。相手がどう思うかを想定しながら動く必要があります。芸者もお相手の気持ちを読む仕事と捉えていて、相手がどう感じるか考えることを徹底的に叩き込まれます。当時は「自分を商品だと思いなさい」と言われて修行を積み重ねました。
今でも、相手の気持ちを想って生み出すデザインというのが根本にあって。そこにはどんなものやことに対しても大切に扱う「無償の愛」のような精神が活きていると思います。簡単にできることではないので、常に初心に振り返るようにしています。チームの仲間とは私のベースを出来るだけ共有し、互いに理解するようにしているので「その判断はあなたらしくない」と伝えあうこともあります。
海外から日本に戻った時、外の目線から培った美意識はずっと生き続けています。着物を着たときの所作や気配り、季節ごとの装飾や着こなし、しつらえ、色、さまざまな要素が相まって、私の中で独自の世界観が構成されています。その経験がなかったら、今の表現は成り立っていないかもしれないですね。対話を大切にし、ものごとの本質を捉えることも、似ているのかもしれません。
自分は何者なのか?
デザイン事務所として独立されているということですが、当初大変だったことを教えてください。
1人で何役もこなさなければいけないところです。仕事を自分で掴むところからスタートし、収益を上げていきながらチームを作っていく。最初は「自分は何者なんだろう?デザインで食べていくことがこんなに大変なんだ。」と思っていました。おかげさまでプロジェクトが増えてきていますが、目標に到達するまでは諦めないと決めて自分自身を強く持っていました。楽をするよりも逆境に燃える方なので、これからもそうしていくと思います。
つらい時代を乗り越えられた要因は何だと思いますか?
人は弱いので、自分から逃げようと思ったらいくらでも自暴自棄になれる。でもそれでは、クリエイターとして何も生産性がないと気づきました。逆境でも絶対上手くいかせるという自信が、ディレクターとしてお客様やチームに信頼していただけている部分かなと思います。
思い描いたことは実行できる可能性が高いけれど、思い描けないことは実行できない。その心構えは大事だと思います。事務所を始める前から周りの人に「デザインの力で日本の良さを国内外に伝える。自分にしか出来ないアートディレクションをしていきたい」と話していました。自分が思う以上にそのことを覚えてくださる人もいて、自然と「あかねさんにお願いしたい」と相談していただける。出会ってすぐではなく、数年後に仕事をご一緒することも多くあるので、人との出会いを大切にすることは意識してますね。困難を乗り越えるにはそういった意識が必要だと思います。
犠牲を払えることが強さ
女性にしか出来ないデザインとは?
さまざまなプロジェクトの中で「日本らしさ」をテーマの一つにしていますが、和物一辺倒というわけでもではなく、色使いやフォルムの部分に女性らしさが出ていると言われます。また、コミュニケーションを取る際やプレゼンをするときの自分が発する「言葉」もデザインの一部だと思っています。そこでも柔らかさや女性らしい芯の強さは大事にしていますね。
芯の強さとは?
「自分にしか出来ないことがある」「ゆずれない気持ちがある」ということが、芯からくる強さだと思います。
何か守るべきことがあるということは、何かを犠牲にしなければいけない。犠牲を払ってでも楽しんで突き進んでいるという部分が、もしかしたら強さや自信に繋がっているかもしれないですね。10代の頃から、怖いもの知らずで急激な変化に自ら飛び込むことが多かったので、臆さないことを繰り返した時に違う風景が見えてきて、それが後から強さに変わったと気づきます。
「祈っているようですね。」と近しい人には言われます。プロジェクトをさりげなく成功に導いていけるような存在でもありたいです。
国内に「和」を新しく発信したい
どういう人と一緒に働きたいと思いますか?
ポジションにもよりますがデザイナーであれば自分なりの世界観を持ち、責任を持って何事にも向かっていく人が良いですね。どこかに所属すると、「言われたことをやる」という感覚になってしまいがちですが、そうではなく、自発的にプロジェクトに参加し、自分ごとのように考えてくれる人は貴重です。
プロデューサーに関しては、当事務所の仕事のジャンルがインタラクティブからグラフィック、キュレーションやコミュニティ作りまで多岐に渡るので、判断力があり、デザイン以外の部分で物事を経験則から語れ、グローバルな経験が豊富な人はさまざまな仕事がしやすいです。また、国外に当事務所ならではのアイデンティティを伝えていきたいので、海外に通用するチーム作りを常に意識しています。
海外展開の展望を教えてください。
文化度の高い場所、例えば以前に住んでいたニューヨークには強い思い入れがあります。2018年の3月にSXSW※でIKEBANA VR EXPERIENCEを発表したのですが、反響が大きかったんです。そこで、和の文化を習いたい・知りたいのに、「ハードルが高い」というイメージから体験できない人が沢山いることを知りました。いけばなに限らず、日本ならではの体験や出来事のデザインによるクリエーションやブランディングを、海外の目線でも続けてやっていきたいですね。アムステルダムにもクライアントがいるのですが、場所は限定せず日本の感性を必要としていたり、あるいは現地の伝統を、私たちなりに新しく伝えるなど、何かの助けになれる場所を見つけていきたいです。
また、IKEBANA VR EXPERIENCEは2025年の大阪万博誘致のプロモーションとして経済産業省に活用していただきアフリカでも発表されました。今後もさまざまなプロジェクトにおいて自分のディレクションができる範囲のなかで海外展開を予定しています。
※毎年3月にアメリカ合衆国テキサス州オースティンで行なわれる、音楽祭・映画祭・インタラクティブフェスティバルなどを組み合わせた大規模イベントである。1987年に音楽祭として始まり、毎年規模を拡大している。 主催はSXSW社。
また、ミレニアル世代に向けた「和に出会う」ためのコミュニティ「wacai」も2018年に立ち上げました。古き良き日本の文化を現代に活かすことを目的に、伝統を引き継ぐ超一流のプロを招き、クリエイターのフィルターを通した「wacai」 ならではの文化の新しい楽しみ方を提案しています。
「自分らしさ」の先に経営はある
独立するのに必要なスキルはどうお考えですか?
周りを大事にすることが基本だと思います。技術は発達しても、人にしか出来ないことや感性や人間味が大事というか。例えば芸者も、アートディレクターもAIには真似出来ないと思うので、テクノロジーは手段であるということを忘れずにいたいですよね。
時代の流れを読みながらも、自分らしさを忘れず、失敗を恐れないことも大事。「失敗を恐れない」位の感覚があるといいかもしれません。失敗を乗り越えられなかったとしても大きな財産になると前向きに信じています。おめでたいですねとたまに言われます(笑)。
これから独立や起業を志す人にメッセージを。
やりたいことを貫き通すことは大切ですが、横着せず自分なりに積み重ね、その過程を楽しむこと。「こうすべき」という経営論も大切ですが、自分の人生なので固定観念を取っ払い、感覚を信じながら大胆に進めてみることも、他の人には真似できないことに繋がると思います。経営とかクリエーションにおいて、大きなイノベーションは美しい計画の上や打算的には起きないはずで、偶然や人との出会い、「本当の自分」との対峙がいい方向に持って行くことがあると信じてます。感性や自分らしさと共に人生を謳歌して、その先に経営があるという、バランスが大事かなと最近は思います。仕事に振り回されるのではなく、大胆に振り回すくらいが魅力的かもしれません。